内覧会用(サンプル)貸出しセット

本格的な写真展の開催方法が良く分からないという方。主催される皆さんで一度、内覧会を開いてみませんか?

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三鷹・平和のつどい「豊田直巳写真展」

「豊田直巳写真展」

ー戦争、もう一つの戦争ー

パレスチナ、インドネシア、あるいはアフガン難民など、紛争の絶えない地に生きる子どもたちや、貧困下でエイズに苦しむアフリカの子どもたち・・・。

物や情報があふれ、一見平和な私たちの暮らしとは対極の世界に生きる子どもたちの無言のささやきを、フォトジャーナリスト豊田直巳氏の写真が伝えます。

8月7日(木)~8月15日(金)

(9・10日は休み)

時間:午前9時~午後4時30分

場所:三鷹市役所1階市民ホール

どなたでも自由にご参加いただけます。

三鷹市役所のアクセス

みたか平和のつどい(式典等)

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4月20日豊田直巳の集中講座

チラシはココをクリックして下さい。

東村山・生活者ネットワークの平和の集い

戦争の作り方、平和の作り方

フォトジャーナリスト 豊田直巳の集中講座

日時●4月20日(日)14:00~16:30

会場●スポーツ・センター大会議室(2F)

グリーンバス スポーツセンター下車 あるいは東村山駅東口から徒歩約15分

参加費●500円(資料代)子ども・学生は無料

主催●東村山・生活者ネットワーク

お申し込み、お問い合わせは

東村山・生活者ネットワーク

TEL&FAX 042-392-7677

これまで、私も、あなたも何を見ていたんだろう?

教室を出たとたんに世界が変わって見える集中講義。

豊田直巳の写真200枚が語る現代史と世界地理、

平和学(平和構築論も含む)。

イラン戦争、劣化ウラン問題から日本の核武装まで、

世界まるごと120分。

面白くなかったら授業じゃない!

講座はスライド、ビデオを多用しますので、目の悪い方は眼鏡のご用意を。

また、自分は「子ども」とお思いの方は、学校の地図帳とノートなど筆記具の準備を。

尚、「テキスト」は簡単なものをご用意しますが、

「もっと勉強したくなった。もっと楽しみたい」という方、お子さんのために、講師の豊田直巳の写真集、書籍を「副教材」として準備します。

チラシはココをクリックして下さい。

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4月18日~30日<東村山・写真展>

豊田直巳<イラク・戦火の子どもたち展 in MARU>

●日時
2008年4月18日~30日
   
            
(19日夜はライブにつき休み)

火~金 11:30~15:00 17:30~20:00
土・日11:30~20:00 月休

●場所: Curry&Bar MARU 

MARUを紹介しているブログのご紹介です。

西武新宿線 東村山駅下車 西口徒歩1分
東村山市野口町1-11-3 tel&fax 042-395-4430     

*入場無料

MARUの地図です。

●車座&署名会
20日(日)18:30~  参加費~1杯付1000円

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2月23日(土)『消される歴史の現場から』 ~JVJA 沖縄現地報告~

『消される歴史の現場から』 ~JVJA 沖縄現地報告~
http://www.jvja.net/

【日時】  2008年2月23日(土)
【時間】  開場15:30、講演16:00~18:00

【場所】  明治大学リバティータワー 地下1001教室
http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.html

【資料代】 1,000円

【共催】  現代史研究会/日本ビジュアル・ジャーナリスト
協会(JVJA)

【お問合せ】 JVJA事務局 090-6101-6113 office@jvja.net

※先着順に受付。定員(266名)を超えた場合は会場収容人員
の都合により、
ご入場を制限いたします。あらかじめご了承ください

 なぜ、今、沖縄なのか?今も、なぜ、沖縄なのか?そんな疑
問を10年以上持ち続けてきた。なぜ、0.6%の国土面積の沖縄
に、在日米軍基地の75%もが日米両政府によって押し付けられ
てきたのか。10数万人の民間人を含む、沖縄戦の犠牲者24万人
の名前を「平和の礎」に刻んだ沖縄。繰り返される在沖米軍兵
士による暴力犯罪の数々に、1995年、8万5千人が県民集会で日
米政府に抗議した沖縄。日本初となる1996年の県民投票によっ
て、「基地はいらない」と県民ぐるみで声をあげた沖縄。それ
らの一切も無視するかのように、軍事基地は維持され、米兵に
よる犯罪が続き、そしてさらなく米軍基地の強化が目論まれて
いる沖縄。
 その沖縄を、さらに辱めるかのような文部科学省教科書検定
の「歴史の隠蔽」。それに対して昨年9月には、11万人余の老
若男女が県民大会で抗議の声をあげ、そして今も、怒りの声を
あげ続けている沖縄。私たちは、その声を聞く「義務」がある。

(司会進行) 豊田直巳
http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/

(報告)森住卓/山本宗補/國森康弘

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2月16日 (土)「大津波と紛争」インドネシア・アチェ

JVJAオープントーク
今、私たちの世界で起きていること
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)

JVJA会員の取材報告だけでなく、取材の「途上」で、あるいはまた、編集の過程で考えたこと、悩んでいることなども、率直に出しあい、会員自らの向上も図る面を持つ、「公開報告・学習会」です。

JVJA会員だけでなく、ジャーナリズムに、そしてJVJA会員の取材テーマなどに関心をお持ちの市民の方々のご参加をお願いいたします。

なお、基本的に JVJA事務所での開催となり、スペースが限られております関係上、事前のご予約が必要です。


第1回 「大津波と紛争」インドネシア・アチェ

期日    2008年2月16日(土)
場所    JVJA事務所(千代田区神田淡路町1-21,静和ビル2B)
時間    15:00~17:00
資料代   1,000 円
主催    日本ビジュアル・ジャーナリスト協会( JVJA )
お問合せ  JVJA 事務局   090-6101-6113    office@jvja.net

※予約制(定員になり次第、締め切らせていただきます。定員 15 名)

(アクセス)
JR中央線・総武線 御茶ノ水駅聖橋口 徒歩5分
丸ノ内線/新宿線をご利用の方は地下道を通り、千代田線方面

東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅B3出口 徒歩1分
東京メトロ丸ノ内線 淡路町駅B3出口 徒歩3分
都営地下鉄新宿線 小川町駅B3出口 徒歩2分)

豊田直巳 アチェ残された子どもたち

  22万人の死者を出したスマトラ沖大地震と大津波。あれから3年、16万人もの人々が犠牲となったアチェは今、道路や水道などインフラの再建、16万個の復興住宅の建設など市民生活の再建が進んでいる。しかし、私の再会したアマちゃんもイクバルくんも、そしてアビルくんやイルマンちゃんも、親を、家族を失った子どもたちの心に負った傷が今でも癒されないように、暮らしも再建されたというには程遠かった。

彼、彼女たちの夢や希望がかなえられる日が来るのには、まだ時間が必要だ。オープントークでは、私たちとアチェとの関わりについても、少し振り返りたいと思います。

http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/

続きを読む "2月16日 (土)「大津波と紛争」インドネシア・アチェ "

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フライデー2月8日号に掲載されました。

スマトラ沖大地震22万人死亡!「少女が見た3年後の再生!」

豊田直巳氏が昨年末の31日までインドネシア、スマトラ島北部のアチェに取材に行きました。
大津波から3年たった様子を報告しています。ぜひ、お読み下さい。

20080208

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東京外国語大学で写真展開催

豊田直巳写真展
戦争、もう1つの戦争

■ 1月28日(月曜午後) ~ 1月31日(木曜)

■ 東京外国語大学(東京都府中市)研究講義棟一階 ロビー

(地図はこちら)

http://www.tufs.ac.jp/info/map-and-contact.html

[ Palestine Gaza Strip ]

イラク、パレスチナ、インドネシア、あるいはアフガン難民な
ど、いまだ紛争の絶えない地に生きる子どもたちの姿は、私た
ちの暮らす社会を映すもうひとつの鏡だと、私は思っている。
私たちの歴史と現在を「そのままでいいの?」と問うているか
のように思えてシャッターを切ったカメラのファインダーの先
に立った子どもたち。その瞳に映るものは何なのか?あなたの
目で確かめて欲しい。物や情報に溢れ、一見平和にしか感じら
れない私たちの暮らしとは対極にある彼、彼女らの「無言」の
囁きから何かを聴き取って欲しい。そう願っての写真展です。

2008年1月 豊田直巳

連絡先  担当者 田邉 哲也(研究協力課研究協力係)

電話:042-330-5593 担当講師 林 明仁 

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写真展 日本の報道写真家たち―世界の戦場から―

いよいよ11月4日より丸木美術館にて
JVJA写真展「日本の報道写真家たち―世界の戦場から― 」
が開催されます。

初日の4日には
豊田直巳氏と桃井和馬氏によるオープニングトークショーがあります。
終了後にはオープニングパーティーも催しますので、
ぜひ、お誘い合わせのうえ、ご来場ください。

また、下記の内容を転送・転載して
知人・友人などにお知らせいただければ幸いです。

ご協力のほど、どうぞ宜しくお願い致します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【転送・転載歓迎】

写真展

日本の報道写真家たち
―世界の戦場から―

2007年 11月4日[日]-12月15日[土]
会場 丸木美術館

〒355-0076 埼玉県東松山市下唐子1401

詳細 http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2007/jvja.htm
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 月曜日(祝日の場合は翌平日)
協力 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)
http://www.jvja.net/

お問い合せ
丸木美術館 tel:0493-22-3266
e-mail:marukimsn@aya.or.jp

テレビでも、国会の中でも、まるでこの世に人間などいないかのように戦争が語られます。曰く「国益」、曰く「安全保障」、曰く「国際貢献」。しかし、その現場に立つことなしに仕事をまっとうできない私たちJVJA会員が、「世界の戦場で」で見続けてきたものは、まぎれもない人間でした。

生身の肉体と、喜怒哀楽に心を揺らす一人ひとりの人間そのものだったのです。たしかに撮影することをためらう場面もありました。しかし、そうした悲惨を極める戦場でさえ、決して失われない人間の美しさに、私たちは触れてきました。

その人間を「直に」感じてもらうことが、実は戦争の真実を「理解」してもらうことに通じると、私たちはファインダーを覗きながら考えています。

もちろん私たちのレンズが切り取った人々のあり様は、それ自体で何かの解説書のような理解を促すものではないでしょう。しかし、物言わぬ一枚の写真だからこそ、貴方のこころに直接語りかけてくれるものもあると、私たちは信じています。

まずは、私たちのカメラの前に立ってくださった一人ひとりに「出会って」いただけることを願います。

日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)

===

トークイベントスケジュール

JVJA会員たちが現場からの声を届けます。
ぜひご参加ください。

※いずれも午後2時より、当日の入館券が必要です。
※各回とも午後1時に東武東上線森林公園駅南口まで、丸木美術館の送迎車が出ます。ご
利用下さい。

11月4日(日) オープニングイベント

桃井和馬
「写真で世界を見る方法」
写真は世界を見るための窓。しかし窓から光景はちゃんと見えていますか?
知識を想像力を駆使すると、きっとこれまでとまったく違う光景が見えてくるはずです。
写真を10倍楽しみ、写真から世界の今を見る方法をお教えします。

豊田直巳
「私たちの見ている『世界』と日本」
私たちが写真を撮っている「世界の戦場」の現場で感じてきたこと。そこに暮らす人々と
接しながら考えたこと。それは私たちは何のために写真を撮っているのかにも通じること
です。そして、その写真を発表する日本の現状は、その写真を見る私たちは……。

11月10日(土)

森住卓
「世界のヒバクシャ 核実験場周辺で何が起きているか?」広島、長崎に原爆が投下され
て世界は核の時代へと突入した。この核の時代にヒバクシャは世界中で生み出されてい
る。特に核戦争のための核兵器開発の舞台となった核実験場は安全性よりも機密保持と核
開発が優先され、ヒバクシャは沈黙させられたが……。

11月11日(日)

林克明
「チェチェンから見た日本とロシア」
小泉・安倍劇場とプーチン劇場。北朝鮮とチェチェン。メディアの堕落、軍(自衛隊)の
権力拡大、言論表現の自由の制限。チェチェン戦争を切り口に、ロシアと日本のファシズ
ム化を語る。

11月17日(土)

山本宗補
「老いの風景から戦争の記憶へ」
8年前から日本各地で「老い」をテーマに撮影してきた。今はお年寄りの脳裏に刻まれ、
忘れられようとしている「戦争の記憶」を聞き取り、写真と解説文での表現を試みはじめ
た。

11月18日(日)

綿井健陽
「ジャーナリストの死をめぐって」
ミャンマー(ビルマ)でジャーナリストの長井健司さんが取材中に殺害された。しかし、
イラク・アフガン・ロシア・フィリピンなど、世界各国でいま地元のジャーナリストたち
を狙った誘拐・殺害・弾圧・拘束事件が相次いでいる。なぜいまジャーナリストたちは標
的とされるのか。様々な映像から戦争取材の現場の実態を考える。

11月23日(金/祝)

八重樫信之
「ハンセン病問題は終わらない」
96年のらい予防法廃止をきっかけに、現在までハンセン病問題の取材と支援活動を続けて
いる。国賠裁判以降、この問題は終わったものと考えられがちだが、偏見と差別という人
権侵害はいまだに続いており、残された課題は多い。

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<福岡>豊田直巳写真展・講演会 ご案内

【写真展】
日時:10月23日(火)~28日(日)

    09:00~19:00(最終日は17:00まで)

会場:福岡市健康づくりセンター「あいれふ」
       1階コミュニティプラザ
       電話092-751-7778

福岡市中央区舞鶴2丁目5番1号 
    (少年科学文化会館の隣)
 ・地下鉄 赤坂駅下車、3番出口より徒歩4分。  
 ・西鉄バスで
         「長浜2丁目」バス停より徒歩約1分
         「法務局前」バス停より徒歩約3分
         「赤坂門」バス停より徒歩約4分

交通アクセス地図 
http://www.kenkou-fukuoka.or.jp/airef/access/access.htm
    
※お車でお越しの場合、駐車場はございますが有料です。

入場無料(会場に自由カンパ箱を設置しています。)

※写真展への賛同カンパにご協力下さい。
(個人:一口1000円より、何口でも。 団体:任意) 
  
カンパ郵便振込口座名 豊田直巳「戦火の子どもたち」

口座番号 01760-1-134363     

*その際、名前公表の「可」・「否」を記入して下さい。

【講演会】豊田直巳スライド・トーク 「戦火の子どもたちと日本」

賛助出演 オカリナ・山口裕之 ゴスペル歌手ソプラノ・建山理沙

日時:10月27日(土) 午後2時から4時半

会場:本願寺福岡会館・3階

福岡市中央区黒門3-2 電話092-771-9081

地下鉄 唐人町(とうじんまち)下車、6番出口より徒歩5分。

地図 http://www.dion.ne.jp/map/index.html

参加費:当日大人1000円、前売り700円、大学高校生500円

■主催:豊田直巳写真展・講演会実行委員会(代表:石村善治)

連絡先:092-621-6211(青柳行信)
      E-mail y-aoyagi@r8.dion.ne.jp

■豊田写真展 後援

福岡県/福岡県教育委員会/福岡市/福岡市教育委員会/
九州朝日放送/TVQ九州放送/毎日新聞社/読売新聞西武本社/
RKB毎日放送/ TNCテレビ西日本/FBS福岡放送/西日本新聞社
/朝日新聞社/ 福岡県教職員組合/福岡市教職員組合

■豊田写真展・講演会 協賛

核・ウラン兵器廃絶キャンペーン福岡/
We Love 9条市民ネットワーク/
JCJ(日本ジャーナリスト会議)福岡支部/
沖縄とむすぶ市民行動・福岡/
NGO「人権・正義と平和連帯フォーラム/
PP21ふくおか自由学校/
念仏者九条の会・福岡/
たんぽぽとりで/
戦争への道に反対する真宗者の会/
カトリック福岡正義と平和協議会/
明日のアジアにかける橋・九州/
子どもを戦場に送らない!9条の会・ふくおか/
婦人民主クラブ全国協議会福岡支部/
くまのみの会 /
日本聖公会九州教区宣教区/
日本キリスト教婦人矯風会福岡支部/
福岡地方バブテスト連合社会委員会/
アムネスティ・インターナショナル福岡グループ /
核戦争防止福岡県医師・歯科医師の会/
日本基督教団九州教区福岡地区社会部/
福岡県民主医療機関連合会/
福岡YWCA 9条の会/
福岡県保険医協会/
非核の政府を求める福岡県の会/
福岡市原爆被害者の会/
福岡県原爆被害者団体協議会
   
   
■豊田直巳 公式ホームページ
  『境界線の記憶』 http://www.ne.jp/asahi/n/toyoda/

悲しみに満ちたイラクを歩き続けていた。
湾岸戦争、経済制裁、イラク戦争。
破壊され、硝煙が漂い、血が流された大地。
劣化ウランに汚染され、暴力が支配する。
人々は傷つき、苦しみ、恐怖に脅えていた。
子どもたちは白血病やガンで「殺され」ゆく。
しかし、そこには私たちと変わらぬ夢や希望もあった。
そんな、写真の中の子どもたちと「出会って」欲しい。

ー豊田直巳ー

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「イラク戦争下の子どもたち」(Aセット)パネル見本

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このサイトの写真は豊田直巳の著作物です。無断使用、転用は固くお断りします。

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「イラク戦争下の子どもたち」(Aセット)キャプション

『イラク戦争下の子どもたち』Aセット・キャプション

000(大写真=120㎝×180㎝)
イラク戦争が米英軍の圧倒的な武力、兵力によって開始され、爆撃された首都
[2003年3月 バグダッド]

■第一部  爆撃
01
ザアーミーエ地区電話局を襲った巨大な爆弾で隣接する自宅を破壊されたアハマッドさん
[2003年3月 バグダッド]
02
「フセイン大統領が居るとの情報を得て狙った」巨大な精密誘導爆弾は住宅街を襲った
[2003年4月 バグダッド]
03
仕事を再開させたショアラ市場に落とされた爆弾で、約60名の一般市民が殺された
[2003年3月 バグダッド]
04
クラスター爆弾で右手を失った少年は「ブッシュのバカヤロウ」と叫び続けていた
[2003年4月 バグダッド]
05
住宅街の家の中にいた9歳のシェバット・ハリールちゃんは日中の空爆で大怪我を負った
[2003年3月 バグダッド]
06
退院して戻った自宅で爆弾の破片を受けて母親が殺されたことを知ったファーティマさん
[2003年3月 バグダッド]
07
遠方から飛ばす巡航ミサイルや高空より落とす精密誘導爆弾は、その犠牲者を選ばない
[2003年3月 バグダッド]
08
マールミーラ村を襲ったクラスター爆弾で大怪我を負ったマジダさん(20歳)と医師たち[2003年4月 ヒッラ]
09
クラスター爆弾で怪我をしたアッザーさんが抱えるザイナブちゃんはまだ生後7カ月だ
[2003年4月 ヒッラ]
10
「無差別爆撃」が住宅街を襲い、7名を殺し15名を負傷させ多くの人々の住居を奪った
[2003年4月 バグダッド]
11
クラスター爆弾が落とされたパレスチナ人居住区でフセイン大統領の写真を掲げる子ども[2003年4月 バグダッド]
12
空襲で父親は失業し、子どもたちの学校は休校が続く中、爆弾が落とされても耐えるのみ
[2003年3月 バグダッド]
13
少年は「学校が休みだから」とイラク情報省前で外国人ジャーナリストを相手に靴磨き
[2003年3月 バグダッド]
14
ジャーナリストが集うホテルが米軍に砲撃された! 我々の取材仲間もついに殺された
[2003年4月 バグダッド]
15
空爆中も戦後の略奪が続く間も、医師たちは病院に留まりに必死に人々の命を守った
[2003年4月 バグダッド]
16
病院に運ばれたものの、一命をとり留めることのできなかった男性とその親族
[2003年3月 バグダッド]
17
空爆の続く間も精油工場に「人間の盾」として留まり続けたアメリカ人の女性がいた
[2003年3月 バグダッド]

■第二部 占領
18
「バグダット陥落」を「サダム・フセイン像の引き倒し」で演出する米軍の海兵隊隊員
[2003年4月 バグダッド]
19
市内に入った米軍は,至る所に戦車や装甲車両で連ねて阻止線を張って住民を排除した
[2003年4月 バグダッド]
20
米軍が占領した市内に設けた検問所では、女性も子どもも荷物検査の対象にされていた
[2003年4月 バグダッド]
21
米軍戦車の前で子どもを抱えた女性が、荷物検査に手間取る夫を不安そうに見つめていた[2003年4月 バグダッド]
22
チグリス川に架かった、片側車線が爆撃で落とされた橋を渡って疎開先から帰る人々
[2003年4月 バグダッド]
23
フィルドス広場に入ってきたアメリカ軍の戦車の大群を、恐れと戸惑いで見つめる男性
[2003年4月 バグダッド]
24
タバコ売りの青年はレジ袋を持っていたために、米兵によって地面に這いつくばらされた
[2003年4月 バグダッド]
25
占領を開始したアメリカ軍は,自分たちの駐屯地を防衛するために住民に銃を突きつけた
[2003年4月 バグダッド]
26
荘厳な建物だった平和宮殿も爆撃され、「アリババ」たちに豪華な家具が持ち出された
[2003年4月 バグダッド]
27
平和宮殿から、「略奪」されて表に引き出された豪華な椅子に、釈放された元政治犯が座る[2003年4月 バグダッド]
28
住宅街に落とされたクラスター爆弾を処理するイラク消防隊のレスキュー隊を見守る住民
[2003年4月 バグダッド]
29
市民が「アリババ」と呼ぶ事務所荒らしの略奪者はカメラの前でも逃げ隠れしなかった
[2003年4月 バグダッド]
30
多くの犠牲者が出た市場で、怯えるように母親の背中に隠れる子どもに出会った
[2003年3月 バグダッド]

■第三部 放射能
31
処理の責任を果たせと突きつけられた核燃料精製物質(イエローケーキ)と占領軍の兵士
[2003年6月 トゥウェイサ]
32
「核エネルギー機関」から持ち出された核燃料精製物質を米軍に引き取らせる環境NGO[2003年6月 トゥウェイサ]
33
住民が核施設から運び出した核燃料精製物質のドラム缶を回収するNGOを見守る少女[2003年3月 トゥウェイサ]
34
広島から来た市民調査団も、劣化ウランの微粉末が体に付着しないようビニールを被った
[2002年12月 クエート国境(非武装地帯)]
35
米軍の劣化ウラン弾によって破壊され、放置されている戦車の向こうにトマト畑が広がる
[2002年12月 クエート国境(非武装地帯)]
36
劣化ウラン弾で破壊されたイラク軍戦車は町中に放置されたまま放射能を発し続けていた
[2003年6月 マハムディーヤ]
37
豊富な水に恵まれているために、劣化ウラン汚染を知らずにトマトを栽培する農民がいた
[2002年12月 クエート国境(非武装地帯)]
38
トマト農家は「政府から何も聞いていない、ウランはそんなに危ないのか」と聞いてきた
[2002年12月 クエート国境(非武装地帯)]
39
フセイン大統領の独裁政権の下であろうとも、人々は市場で買い物もする暮らしがあった[2002年11月 バグダッド]
40
ラマダン(断食月)の夕刻、日没とともに始まる夕食を待って男たちはそわそわし始めた[2002年11月 バグダッド]
41
シーア派イスラム教徒のモスクには、かつての敵国のイランからも多くの信者が集った
[2002年5月 バグダッド]
42
湾岸戦争時に米軍の「ピンポイント爆撃」を受けたアムリエ・シェルター内部(防空壕)
[2002年4月 バグダッド]
43
アムリエ・シェルター内には殺された女性や子供たち約400名の遺影が掲げられていた
[2002年4月 バグダット]
44
近所の学校へ向かう早朝の道を,眠たい目をこすりながらとぼとぼと歩いていく
[2002年11月 バグダッド]
45
先生から質問されると、元気に「ハイハイ」と先を競って手を挙げる子どもたち
[2002年12月 バグダッド]
46
教科書に印刷されたフセイン大統領の肖像を掲げながら大統領を讃える歌を歌う生徒たち[2002年12月 バグダッド]
47
経済制裁の影響は学校の割れたままの窓ガラスや剥げ落ちた壁にも現われていた
[2002年12月 バスラ]

■第4章 犠牲者
48
3ヶ月前に赤ちゃんを産み、撮影2ヶ月後に25歳で亡くなってしまったナダーさん
[2002年4月 バスラ]
49
2ヶ月前まで家族に囲まれて暮らしていた5歳のオマールは、突然に白血病に襲われた
[2002年12月 バグダッド]
50
まだ幼さの残る姉に看病されていた6歳のダーちゃんは写真の撮影の二日後に亡くなった
[2002年4月 バグダット]
51
イラク戦争が始まってからも「湾岸戦争」の犠牲となった子どもたちが死んでいった
[2003年7月 バスラ]
52
サドル・シティーと改名される前のサダム・シティーにも日々を懸命に生きる庶民がいた[2002年5月 バグダット]
53
バルサムは物静かで、姉妹の面倒をよくみるジュワードさんの自慢の娘
[2002年5月 バグダット]
54
地方から職を求めて都会に出た人々の集うサダム・シティーに暮らすナオラスは働き者だ[2002年5月 バグダット]
55
NGOグリーンピースによる核燃料精製物質のドラム缶の回収作業を見守る地元の人々
[2003年6月 トゥウェイサ]
56
白血病やガンが多発してもアメリカ政府は公式には劣化ウランとの因果関係を認めない[2002年12月 バグダット]
57
腹水の溜まったお腹を手術した子どもを抱く母親は、やり場のない怒りの表情をしていた
[2002年5月 バグダット]
58
高級衣料品や輸入家電を売る繁華街で、ラマダン明けのお祭りの晴れ着を買いに来た家族
[2002年11月 バグダット]
59
サダム・シティーのジュワードさん一家の貧しくとも仲のいい兄弟姉妹たち
[2002年5月 バグダット]
60
最近の取締りで街角から減ったとはいえ、靴磨きや買い物袋売りは子供たちの大切な仕事
[2002年11月 ナジャフ]
61
経済的に貧しい人々の集うサダム・シティー(現サドル・シティー)の子ども
[2002年11月 バグダット]
62
夏休み前の試験が終わって閑散とした村の学校の黒板には英語の試験問題が残されていた
[2002年5月 バスラ郊外]
63
白血病の影響で目にひどい症状が出て入院六ヶ月になる息子の唾液を吸いだしてやる父親
[2002年4月 バグダット]
64
止まらない息子の鼻血をどうすることできぬ母親と、血がついたままの哺乳ビン
[2002年4月 バグダット]
65
体調の悪さにからときどき、むずがる娘をあやすだけで、どうすることもできない母親
[2002年12月 バグダット]
66
仮埋葬の墓地は、湾岸戦争後に激増した子どもの死によって「子どもの墓地」と化した
[2002年12月 バスラ]
67
白血病を患う息子を抱えて、はるばるバグダットの病院までやってきたクルド人の父子
[2002年12月 バグダット]
68
「私たちは写真が欲しいのではない。薬が欲しいのです」と言った老婆のいた同じ病室で
[2002年12月 バスラ]

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「イラク戦争と子どもたち」(Bセット)パネル見本

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「イラク戦争と子どもたち」(Bセット)キャプション

『イラク戦争の子どもたち』Bセット・キャプション (モノクロ:43枚)

001
近所の学校へ向かう道を、寝覚めの目をこすりながらとぼとぼと歩いていく
[2002年11月 サダム・シティー イラク]
002
経済的に貧しい人々の集う「サダム・シティー」の子ども
Children in the "Saddam City" where poor people gather.
003
フセイン大統領の誕生を祝う集会で、イラクの国旗を旗振る子どもたち
004
石油タンクローリーの運転手を父に持つ一家は小さな家に暮していた
A family, whose father is an oil tanker driver, lived in a small house
005
夏休み前の試験が終わって閑散とした村の学校の黒板には英語の試験問題が残されていた
[2002年5月 バスラ市郊外 イラク]
006
ラマダンの断食から解放される日没まで、あとわずかと市場の男たちは最後の野菜を売る
[2002年11月 バグダット イラク]
007
経済制裁で超インフレが市民の暮らしを直撃し、商店では紙幣計数器を必要とした
008
米軍の劣化ウラン弾によって破壊され、放置されている戦車の向こうにトマト畑が広がる
009
劣化ウランの汚染地帯にもトマトを栽培する農家の人たちが暮らしていた
Farmers grew tomatoes even in a polluted zone caused by depleted uranium
010
長い経済制裁の影響で衛生状態も良くない中、白血病で入院するマスクをした子ども
011
『湾岸戦争』の後、子どもたちの白血病やガンが急増していた
The cases of children's leukemia and cancers have increased rapidly after the "Gulf War".
012
遠くクルド人自治区からバグダッドまで治療に来ているクルド人の白血病の子どももいた
013
重い病気にかかっても経済制裁のために十分な薬が手に入らなかった
Even if they got a serious disease, they could not get enough medicine due to economic sanctions
014
日米政府は劣化ウランとの因果関係を認めないが、その間にも子どもたちが死んでいく
015
重い白血病を患っていたダアーちゃんは、写真撮影の二日後に6歳の命を閉じた
016
白血病を患う息子を抱えて首都まできていたクルド人の父親は、終始無言だった
017
南部のバスラ市には「子どもの墓地」ができるほど沢山の子どもたちが亡くなった
So many children died, that the "graveyard for children" was built in Basra in the south of Iraq.
018
貧しくとも仲のいい兄弟姉妹は、平和であればとても幸せだと神に感謝した
These brothers and sisters got along very well even in the poor. They thanked to God with happiness in peace time.
019
電話局を狙った巨大な爆弾は、隣の民家をも破壊してしまった
A gigantic bomb bombing a telephone station  destroyed a private house next to it too.
020
フセイン大統領を狙ってはずれた爆弾は住宅街を襲い、一般市民を生き埋めにした
Bombs, which aimed attacking President Hussein in vain, struck residential districts and  buried citizens alive.
021
アメリカ軍とイギリス軍による空爆が続いた毎日、市民の中に多くの犠牲者がでた
Civilian casualties increased day after day due to the air strikes by U.S. and British forces.
022
「ブッシュは悪魔だ。アメリカのバカヤロー」と病院のベットで叫んでいた少年
A boy shouting on the hospital bed, "Bush is a devil.  To hell with U.S.A!"
023
シュバットちゃん(9歳)は薬が効いたのか病院のベットで静かに横たわっていた
Shvat (9 years old) was silently lying on the hospital bed probably due to the effect of medicine.
021
アメリカ軍とイギリス軍による空爆が続いた毎日、市民の中に多くの犠牲者がでた
Civilian casualties increased day after day due to the air strikes by U.S. and British forces.
024
負傷して運び込まれた病院から帰ってきた女性は母親が殺されていたことを知った。
A woman was carried to the hospital when wounded. And  she found her mother had been killed when she returned home.
025
米英軍のバクダットへの無差別爆撃は、女性も子どもも区別なく犠牲者にした。
The indiscriminate bombing by U.S. and British military forces in Baghdad took a toll on women and children irrespectively.
026
米軍のクラスター爆弾で大怪我を負わされたマジダ・カーデムさんは20歳の女性だ。
027
無差別に市民を殺傷するクラスター爆弾が、首都の市街地のハイラート地区を襲った
028
市場で60名近い人々が空爆の犠牲になった翌日に出あった子ども
A child I happened to meet at the next day
029
カリフォルニアから来たアメリカ人の女性が『人間の盾』として石油プラントにいた
030
バグダットに侵攻しようとしたアメリカ軍の戦車を迎え撃ち、破壊したイラク軍兵士
031
イラクへの戦争反対を訴えて世界中からバグダッドに集まった人々に混じる地元の少女
032
爆弾が落とされた住宅街で、外国人の記者にフセイン大統領の肖像を見せた子ども
A child showing a portrait of President Hussein to foreign correspondents in a residential district  bombed.
033
戦争で学校もなく、毎日朝から靴磨きに励んでいた少年
A boy, who had no school because of the war, was working in shining shoes everyday from early morning.
034
パレスチナホテルが米軍戦車に砲撃され外国人ジャーナリストが虐殺された直後のロビー
035
「サダム像引き倒し」が、アメリカ海兵隊が持ち込んだ特殊な装甲車で演出された
"The bringing down of the statue of Saddam" was staged by using a special armored car, which U.S. Marines brought in.
036
チグリス川にかかる橋を封鎖して検問を設けたアメリカ軍の兵隊
U.S. Troops set up a checkpoint by blocking off the bridge over the Tigris.

037
アメリカ軍は各所に検問を設けて女性も子どもも荷物検査の対象にした
U.S. troops set up checkpoints in many locations and inspected women and children through baggage screening.
038
チグリス川に架かる大きな橋も片側が落とされてしまって、市民は恐々と渡る
Since one side of this big bridge over the Tigris has been dropped, people walk across it fearfully.
039
大統領宮殿の一つの平和宮殿で、「略奪」で表に引き出された椅子に座る元政治犯
A former political prisoner is sitting on the chair, that was robbed and just brought to the yard of the Peace Palace, one of the President Palaces.
040
靴磨きに精をだしていた少年は、パレスチナホテル前に進駐した兵士に話しかけた
.041
バグダット市内のいたるところを戦車や装甲車で封鎖したアメリカ軍の兵士
042
破壊されて街中に残されたイラク軍戦車のからはとても強い放射線が出ていた
Terribly strong radiation was emitted from the tanks of Iraqi troops, which were demolished and left in the town.
043
アメリカ軍の戦車の前で、検問を受ける夫を不安そうに見つめる女性
A woman looking uneasily at her husband who is inspected in front of an U.S. tank.

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「イラク戦争の一年」(Cセット)パネル見本

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「イラク戦争の一年」(Cセット)キャプション

『イラク戦争の一年』Cセット・キャプション  (白黒・カラー総計 44枚)

c-L1 (大写真=120㎝×180㎝)
フセイン政権下で禁じられていたシーア派の大祭「アシュラ」が深夜のイマーム・フセインモスクで最高潮に達する
(カルバラ  2004年3月2日)   
c-L2 (大写真=120㎝×180㎝)
殺されたイマーム・フセインの苦しみを自分のものとするため、我が身に鎖を打つ祭り「アシュラ」に参加した少年
(バグダッド 2004年2月26日) 
c-L3( 大写真=120㎝×180㎝)
深夜、イマーム・フセインモスクの回廊の屋上からライトアップされたモスクに向かってコラーンを読み続ける若者
(カルバラ 2004年3月2日) 

c-01
近所の学校へ向かう朝の道を、眠たい目をこすりながらとぼと歩いていく
(バグダッド 2002年11月)    k001
c-02
放射能汚染された非武装地帯でトマト栽培の農民は「ウランそんなに危ないのか」と聞いてきた
(クエート国境地帯 2002年12月) 
c-03
3ヶ月前に赤ちゃんを産み、そして2ヶ月後に25歳の若さで亡くなってしまったナダーさん
(バスラ 2002年5月)
c-04
仮埋葬の墓地は、湾岸戦争後に激増した子どもたちの死によって「子どもの墓地」と呼ばれるようになった
(バスラ 2002年12月) k004
c-05
きのこ雲を立ち上らせる巨大な爆弾がバグダットの街に連日落とされた
(バグダッド 2003年3月28日) k005
c-06
空爆が開始されて10日たち、仕事を再開させたショアラ市場に落とされた爆弾で約55名の一般市民が殺された
(バグダッド 2003年3月31日)   k006
c-07
アーザミーエ地区の電話局を襲った巨大な爆弾に,隣接する自宅を破壊されたアハマッドさんは天を仰いだ
(バグダッド 2003年3月30日)  
c-08
クラスター爆弾で右手を失った少年は、痛みに耐えるためか「ブッシュのバカヤロウ」と叫び続けていた
(ヒッラ 2003年4月2日)
c-09
市場が空爆を受けて多くの犠牲者が出た数日後、その市場で怯えるように母親の背中に隠れる子どもに出会った
(バグダッド 2003年3月31日)
c-10
空爆の続く間も、石油精製工場に、戦争反対、空爆反対を訴える「人間の盾」として留まり続けたアメリカ人の女性
(バグダッド 2003年3月25日)
c-11
バグダッド郊外のパレスチナ人居住区にばら撒かれたクラスター爆弾を処理する消防のレスキュー隊を見守る
(バグダッド 2003年4月5日)
c-12
少年は「学校が休みだから」と毎日、イラク情報省の前で外国人ジャーナリストを相手に靴を磨いていた
(バグダッド 2003年3月22日)
c-13
一方的にやられっ放しだったバグダッドのイラク側が珍しくアメリカの戦車を破壊したと、民兵たちが集まっていた
(バグダッド 2003年4月6日)
c-14
パレスチナホテル前に入ってきたアメリカ軍の戦車の大群を、恐れと戸惑いの中で見つめる地元の男たち
(バグダッド 2003年4月9日)
c-15
「バグダット陥落」を「サダム・フセイン像の引き倒し」で演出しようとする米軍海兵隊の特殊な装甲車と海兵隊員
(バグダッド 2003年4月9日)
c-16
アメリカ軍の戦車の前で子どもを抱えた女性は、米軍の検問の荷物検査に手間取る夫を不安そうに見つめていた
(バグダッド 2003年4月12日)
c-17
事務所荒らしの略奪者たちを市民は「アリババ」と呼び恐れたが、アメリカ軍は略奪行為を放置していた
(バグダッド 2003年4月10日)
c-18
街中のパン屋の前に残されたイラク軍戦車からは米英軍が使った劣化ウラン弾の強烈な放射線が出ていた
(マハムディーヤ 2003年4月17日)
c-19
放射能汚染された地域で核燃料精製物質の入っていたドラム缶を回収する環境NGOの作業を見守る地元民
(トゥウェイサ 2003年6月)
c-20
首都の中心部のホテルの爆破で27名とも言われる市民が殺されたが、誰の犯行かも分からずじまいだった
(バグダッド 2004年3月17日)
c-21
シーア派のモスクにロケット砲が打ち込まれたのを名目に出動したアメリカ兵、しかし市内の安全は崩壊していた
(バグダッド 2004年2月26日)
c-22
イラクの「要人」を警備するアメリカ兵を狙った爆弾が住宅街で炸裂。周辺の市民も車も巻き添えを食った
(バグダッド 2004年3月18日)
c-23
米軍の「サダム像引き倒し」の演出から一年。舞台となったフィドルス広場で近所の子どもが花を摘んでくれた
(バグダッド 2004年3月25日)
c-24
米兵による拷問、虐待、暴行が行われていたアブグレイブ収容所の前で、家族の面会を求めたが断られた女性
(アブグレイブ 2004年3月21日)
c-25
収容所に捕らわれている肉親の安否を確かめに来ている人々が、照りつける日差しの中で長く待たされていた
(アブグレイブ 2004年3月21日)
c-26
「拘束者に人権を」と訴えてる人権団体と一緒に、息子の釈放を訴える女性たちが、CPA(占領当局)前に並んだ
(バグダッド 2004年3月18日)
c-27
裁判はおろか、理由も告げられずに米軍に連れ去られたイラク市民を守ろうと訴える人権団体、NGOのデモ
(バグダッド 2004年3月18日)
c-28
聖地に何百万人の信徒が集まり、「アシュラ」の祭りが最高潮に達したとき、爆弾が爆発し、砲弾が撃ち込まれた
(カルバラ 2004年3月2日)
c-29
隣国イランなどからも押し寄せた巡礼客と、それをもてなす地元民であふれる聖地は一瞬にして修羅場と化した
(カルバラ 2004年3月2日)
c-30
爆発で大火傷を負い、医師が包帯を取り替えるたびに激痛に悲鳴を上げる息子の手を握ることしかできない父
(カルバラ 2004年3月4日)
c-31
全身に大火傷を負って病院のベットに横たわる息子の看病に来ていた父は、息子の無残さにときどき涙を流した
(カルバラ 2004年3月4日)
c-32
聖地へのテロ攻撃で殺された人々の葬儀に集まった地元の人々は、戦争と占領に対する怒りをあらわにした
(カルバラ 2004年3月3日)
c-33
市内にまで劣化ウラン弾が使われたサマワの産科小児科病院には、突然にはしか等の感染症が大流行している
(サマワ 2004年3月14日)
c-34
破壊されたイラク軍軍用車両のスクラップ置き場が郊外に広がる。いくつもの戦車から強い放射線が検出された
(バグダッド 2004年2月22日)k034
c-35
戦車のスクラップを解体作業の仕事をしていた近所の男は、それらが放射能を発していることを知らなかった
(バグダッド 2004年2月22日)
c-36
バグダッドの南にあるスワイラ来て、マンスール病院の白血病センターに2日前から入院している6歳のハナン
(バグダッド 2004年3月24日)
c-37
明らかに自分たちを狙った爆弾が炸裂した直後、現場を封鎖した若いアメリカ兵は怯えていたように見えた
(バグダッド 2004年3月18日)
c-38
日本からムサンナ州産科小児科病院への医療機器の贈呈式が行われている間だけ周辺を警備していた自衛官
(サマワ 2004年3月14日)
c-39
子供たちは無邪気で屈託がないが、ここも自衛隊が派兵されて以降、毎日のように「戦闘」が繰り広げられている
(サマワ 2004年3月14日)
c-40
100名以上の犠牲者を出した爆弾事件のあった翌日の午後、路地裏を風のように駆け抜けていく少女を見た
(カルバラ 2004年3月3日)
c-41
イラクは首都の空までも占領され、米軍の戦闘ヘリが威圧するように昼夜を問わず超低空飛行を繰り返していた
(バグダッド 2004年2月22日)

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「戦争、もう一つの戦争」パネル見本

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「子どもたちの生きる世界」パネル見本

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「子どもたちの生きる世界」キャプション

『子どもたちの生きる世界』キャプション
000 大写真(120㎝×180㎝)
水田は押し流されて泥沼と化し、はるか遠くにあったモスクだけが白く輝いていた
[2005年1月 ロンガ アチェ]

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夕焼けの空に大きな大地をおおって、大きな虹が架かった。
[2001年6月 ボルガン県 モンゴル]
002
大きな馬にまたがって突然現れた少女は、何10頭もの羊を一人で追っていた
[2001年6月 フブスグル県 モンゴル]
003
大人に混じって羊を追ってきた少年は、もうベテランのような振る舞いだ
[2001年6月 フブスグル県 モンゴル]
004
キリスト教教会を中心に、山の上に家々が広がっている典型的なナガランドの村の風景
[1999年11月 ルンクム ナガランド]
005
氏族社会の長老たちが、長老交代の儀式で次の長老たちが村人にふるまう豚を確認する
[1999年11月 ルンクム ナガランド]
006
日本でも30年ほど前までどこでも見られたような、手作りの吹き矢で遊ぶ少年
[1999年11月 ムコクチュン ナガランド]
007
木の実を採ろうと石畳の道をやってきた少年
[1999年11月 ルンクム ナガランド]
008
バスターミナル建設の公共事業で追い立てられた人々が、浜辺を「不法占拠」して暮らす[1997年2月 レイテ島 フィリピン]
009
暴走するようなジプニーと呼ばれる乗り合いバスの間をすり抜けるようして現れた少年[1997年2月 レイテ島 フィリピン]
010
港の市場では魚を売ったり、野菜を運んだりと朝から忙しく働く子どもたちも少なくない[1997年2月 レイテ島 フィリピン]
011
喧騒の鳴り止まない首都の中心部。路地を一歩入ると子どもがバスケットに興じていた
[1997年2月 マニラ フィリピン]
012
NGOの支援で掘る井戸のための大きなコンクリート管の中で昼寝をする子どもたち
[1999年12月 バンティエイ・スレイ カンボジア]
013
政府が地雷被災者を集めた開拓村では、足や手をなくした父親に代わって子どもたちも懸命に働いていた
[1999年12月 バンティエイ・スレイ カンボジア]
014
荒野を拓いて、自分たちで建てた家に帰る地雷の被災者たち。開拓は始まったばかりで生活は苦しい
[1999年12月 バンティエイ・スレイ カンボジア]
015
義足を作るため、足に残っている地雷の破片を取り除く手術を控えて少し憂鬱そうな少年
[1997年11月 シェムレアップ カンボジア]
016
一つ残されたモスクがなければ、ここが町だったことすら想像できない
[2005年1月 チャラン付近 アチェ]
017
わずかに生き残った人々が、再建のために避難キャンプからのモスクに戻ってきた
[2005年1月 ランプー アチェ]
018
自宅跡から遺留品を探す家族。しかし使えそうなものはほとんど何も残っていない
[2005年1月 ロンガ アチェ]
019
漁師だったという男性も一家を全部失い、支援物資保管のテントに一人暮らしだ
[2005年1月 ロンガ・キャンプ アチェ]
020
テントの長屋に暮らす女性は食器を洗っていたが、男たちはすることがない
[2005年1月 ロンガ・キャンプ アチェ]
021
親兄弟を失ったイクバルが朝の水浴びをする。今はNGOスタッフと暮らしている
[2005年1月 マタイー・キャンプ アチェ]
022
母親を失った姉のアリヤと妹のモルディアが、テントの一角でぼんやりと外を見ていた
[2005年1月 ロンガ・キャンプ アチェ]
023
NGOが掲示した、親を捜し求める子どもたちの写真から、自分の子どもを探す男性         
[2005年1月 マタイー・キャンプ アチェ]           
024
6歳のアマは従兄弟の家にお泊りに行っていて助かったが、家も家族も失ってしまった
[2005年1月 マタイー・キャンプ アチェ]
025
昼間は元気そうに見えるイクバルも夜泣して一人では寝られないとNGOスタッフは言う[2005年1月 マタイー・キャンプ アチェ]
026
津波から一ヶ月後、学校は再開されたが、家も学用品も制服も失った子どもたちも多い
[2005年1月 バンダアチェ アチェ]
027
津波から一ヶ月後の1月26日、再開された学校の始業式で亡くなった友人の冥福を祈る[2005年1月 バンダアチェ アチェ]
028
再開した教室に現れ、目的も告げずに生徒や教師をビデオ撮影するインドネシア国軍兵士[2005年1月 バンダアチェ アチェ]
029
アチェのそこかしこに展開するインドネシア国軍は、津波の後も軍事作戦を継続している[2005年1月 ロンガ郊外 アチェ]
030
さまざまな文化交流を示す国立図書館の膨大な蔵書も砲撃によって炎上、焼失した
[1995年10月 サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ]
031
1992年の内戦開始から市内には新しい車両が入らず、バスは老朽化するままだった
[1995年10月 サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ]
032
ガスや電気の供給が止めらた街で、飲料用の清浄な水を運ぶ子どもの姿が風物詩となった
[1995年10月 サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ]
033
屋根も焼け落とされた工場の煙突が夕日に染まる中、少年は自転車を乗り回していた
[1995年10月 サラエボ ボスニア・ヘルツェゴビナ]
034
山の上にも春がきて、特産のタバコの植え付けが始まった
[1996年2月 シャクラ レバノン]
035
今日は天気がいいからとテーブルを中庭に持ち出して、大家族の昼食
[1996年3月 シャクラ レバノン]
036
イスラエル軍による国連の避難所への空爆で弟を殺された姉は集団葬儀の場で泣き崩れた
[1996年4月 カナ レバノン]
037
イスラエル軍命令で退避させられた人々が我家に戻ると、めちゃくちゃに破壊されていた
[1996年4月 シャクラ レバノン]
038
那覇防衛施設局が作業用に設置したやぐらに座り込んで、基地建設反対を訴える人々
[2004年12月 辺野古 沖縄]
039
新しい米軍基地の受け入れに反対する「命を守る会」前に掲げられた寄せ書きの旗で遊ぶ
[1999年2月 辺野古 沖縄]
040
毎日「命を守る会」の事務所に来ては座り続けることが、地元のオバーたちの表示だ
[2003年10月 辺野古 沖縄]
041
辺野古川が海に注ぐ河口の干潟。夕暮れの中で姉弟がいつまでも波と戯れていた
[1998年12月 辺野古 沖縄]
042
「美ら海」と呼ばれる珊瑚の海まで米軍の海兵隊基地の有刺鉄線が張り巡らされている
[2001年7月 辺野古 沖縄]
043
快晴の空の下、朝鮮中高級学校の運動会で太鼓のプクの演奏を披露する子どもたち
[1998年10月 東京 日本]
044
日本の小学校に当たる初級学校の書道。学校では「国語」の朝鮮語の他に日本語も学ぶ
[1998年6月 東京 日本]
045
女生徒の制服だったチマチョゴリは日朝関係の緊張の度に不届きな日本人の標的となった
[1998年7月 東京 日本]

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7月5日(木)東京新聞朝刊をご覧下さい。

「戦禍訴える幼い瞳  劣化ウラン弾、貧困・・・60カ国撮り歩く豊田さん」というタイトルで、大きく豊田氏の活動を記事にしていただきました。

“「写真展を広げる会」発足”と、当会のご紹介もいただきました。

記事の一部が東京新聞のHPに掲載されています。

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«7月14日(土)「地球の上に生きる2007 DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展 in 名古屋」