「イラク戦争下の子どもたち」(Aセット)パネル見本
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『イラク戦争下の子どもたち』Aセット・キャプション
000(大写真=120㎝×180㎝)
イラク戦争が米英軍の圧倒的な武力、兵力によって開始され、爆撃された首都
[2003年3月 バグダッド]
■第一部 爆撃
01
ザアーミーエ地区電話局を襲った巨大な爆弾で隣接する自宅を破壊されたアハマッドさん
[2003年3月 バグダッド]
02
「フセイン大統領が居るとの情報を得て狙った」巨大な精密誘導爆弾は住宅街を襲った
[2003年4月 バグダッド]
03
仕事を再開させたショアラ市場に落とされた爆弾で、約60名の一般市民が殺された
[2003年3月 バグダッド]
04
クラスター爆弾で右手を失った少年は「ブッシュのバカヤロウ」と叫び続けていた
[2003年4月 バグダッド]
05
住宅街の家の中にいた9歳のシェバット・ハリールちゃんは日中の空爆で大怪我を負った
[2003年3月 バグダッド]
06
退院して戻った自宅で爆弾の破片を受けて母親が殺されたことを知ったファーティマさん
[2003年3月 バグダッド]
07
遠方から飛ばす巡航ミサイルや高空より落とす精密誘導爆弾は、その犠牲者を選ばない
[2003年3月 バグダッド]
08
マールミーラ村を襲ったクラスター爆弾で大怪我を負ったマジダさん(20歳)と医師たち[2003年4月 ヒッラ]
09
クラスター爆弾で怪我をしたアッザーさんが抱えるザイナブちゃんはまだ生後7カ月だ
[2003年4月 ヒッラ]
10
「無差別爆撃」が住宅街を襲い、7名を殺し15名を負傷させ多くの人々の住居を奪った
[2003年4月 バグダッド]
11
クラスター爆弾が落とされたパレスチナ人居住区でフセイン大統領の写真を掲げる子ども[2003年4月 バグダッド]
12
空襲で父親は失業し、子どもたちの学校は休校が続く中、爆弾が落とされても耐えるのみ
[2003年3月 バグダッド]
13
少年は「学校が休みだから」とイラク情報省前で外国人ジャーナリストを相手に靴磨き
[2003年3月 バグダッド]
14
ジャーナリストが集うホテルが米軍に砲撃された! 我々の取材仲間もついに殺された
[2003年4月 バグダッド]
15
空爆中も戦後の略奪が続く間も、医師たちは病院に留まりに必死に人々の命を守った
[2003年4月 バグダッド]
16
病院に運ばれたものの、一命をとり留めることのできなかった男性とその親族
[2003年3月 バグダッド]
17
空爆の続く間も精油工場に「人間の盾」として留まり続けたアメリカ人の女性がいた
[2003年3月 バグダッド]
■第二部 占領
18
「バグダット陥落」を「サダム・フセイン像の引き倒し」で演出する米軍の海兵隊隊員
[2003年4月 バグダッド]
19
市内に入った米軍は,至る所に戦車や装甲車両で連ねて阻止線を張って住民を排除した
[2003年4月 バグダッド]
20
米軍が占領した市内に設けた検問所では、女性も子どもも荷物検査の対象にされていた
[2003年4月 バグダッド]
21
米軍戦車の前で子どもを抱えた女性が、荷物検査に手間取る夫を不安そうに見つめていた[2003年4月 バグダッド]
22
チグリス川に架かった、片側車線が爆撃で落とされた橋を渡って疎開先から帰る人々
[2003年4月 バグダッド]
23
フィルドス広場に入ってきたアメリカ軍の戦車の大群を、恐れと戸惑いで見つめる男性
[2003年4月 バグダッド]
24
タバコ売りの青年はレジ袋を持っていたために、米兵によって地面に這いつくばらされた
[2003年4月 バグダッド]
25
占領を開始したアメリカ軍は,自分たちの駐屯地を防衛するために住民に銃を突きつけた
[2003年4月 バグダッド]
26
荘厳な建物だった平和宮殿も爆撃され、「アリババ」たちに豪華な家具が持ち出された
[2003年4月 バグダッド]
27
平和宮殿から、「略奪」されて表に引き出された豪華な椅子に、釈放された元政治犯が座る[2003年4月 バグダッド]
28
住宅街に落とされたクラスター爆弾を処理するイラク消防隊のレスキュー隊を見守る住民
[2003年4月 バグダッド]
29
市民が「アリババ」と呼ぶ事務所荒らしの略奪者はカメラの前でも逃げ隠れしなかった
[2003年4月 バグダッド]
30
多くの犠牲者が出た市場で、怯えるように母親の背中に隠れる子どもに出会った
[2003年3月 バグダッド]
■第三部 放射能
31
処理の責任を果たせと突きつけられた核燃料精製物質(イエローケーキ)と占領軍の兵士
[2003年6月 トゥウェイサ]
32
「核エネルギー機関」から持ち出された核燃料精製物質を米軍に引き取らせる環境NGO[2003年6月 トゥウェイサ]
33
住民が核施設から運び出した核燃料精製物質のドラム缶を回収するNGOを見守る少女[2003年3月 トゥウェイサ]
34
広島から来た市民調査団も、劣化ウランの微粉末が体に付着しないようビニールを被った
[2002年12月 クエート国境(非武装地帯)]
35
米軍の劣化ウラン弾によって破壊され、放置されている戦車の向こうにトマト畑が広がる
[2002年12月 クエート国境(非武装地帯)]
36
劣化ウラン弾で破壊されたイラク軍戦車は町中に放置されたまま放射能を発し続けていた
[2003年6月 マハムディーヤ]
37
豊富な水に恵まれているために、劣化ウラン汚染を知らずにトマトを栽培する農民がいた
[2002年12月 クエート国境(非武装地帯)]
38
トマト農家は「政府から何も聞いていない、ウランはそんなに危ないのか」と聞いてきた
[2002年12月 クエート国境(非武装地帯)]
39
フセイン大統領の独裁政権の下であろうとも、人々は市場で買い物もする暮らしがあった[2002年11月 バグダッド]
40
ラマダン(断食月)の夕刻、日没とともに始まる夕食を待って男たちはそわそわし始めた[2002年11月 バグダッド]
41
シーア派イスラム教徒のモスクには、かつての敵国のイランからも多くの信者が集った
[2002年5月 バグダッド]
42
湾岸戦争時に米軍の「ピンポイント爆撃」を受けたアムリエ・シェルター内部(防空壕)
[2002年4月 バグダッド]
43
アムリエ・シェルター内には殺された女性や子供たち約400名の遺影が掲げられていた
[2002年4月 バグダット]
44
近所の学校へ向かう早朝の道を,眠たい目をこすりながらとぼとぼと歩いていく
[2002年11月 バグダッド]
45
先生から質問されると、元気に「ハイハイ」と先を競って手を挙げる子どもたち
[2002年12月 バグダッド]
46
教科書に印刷されたフセイン大統領の肖像を掲げながら大統領を讃える歌を歌う生徒たち[2002年12月 バグダッド]
47
経済制裁の影響は学校の割れたままの窓ガラスや剥げ落ちた壁にも現われていた
[2002年12月 バスラ]
■第4章 犠牲者
48
3ヶ月前に赤ちゃんを産み、撮影2ヶ月後に25歳で亡くなってしまったナダーさん
[2002年4月 バスラ]
49
2ヶ月前まで家族に囲まれて暮らしていた5歳のオマールは、突然に白血病に襲われた
[2002年12月 バグダッド]
50
まだ幼さの残る姉に看病されていた6歳のダーちゃんは写真の撮影の二日後に亡くなった
[2002年4月 バグダット]
51
イラク戦争が始まってからも「湾岸戦争」の犠牲となった子どもたちが死んでいった
[2003年7月 バスラ]
52
サドル・シティーと改名される前のサダム・シティーにも日々を懸命に生きる庶民がいた[2002年5月 バグダット]
53
バルサムは物静かで、姉妹の面倒をよくみるジュワードさんの自慢の娘
[2002年5月 バグダット]
54
地方から職を求めて都会に出た人々の集うサダム・シティーに暮らすナオラスは働き者だ[2002年5月 バグダット]
55
NGOグリーンピースによる核燃料精製物質のドラム缶の回収作業を見守る地元の人々
[2003年6月 トゥウェイサ]
56
白血病やガンが多発してもアメリカ政府は公式には劣化ウランとの因果関係を認めない[2002年12月 バグダット]
57
腹水の溜まったお腹を手術した子どもを抱く母親は、やり場のない怒りの表情をしていた
[2002年5月 バグダット]
58
高級衣料品や輸入家電を売る繁華街で、ラマダン明けのお祭りの晴れ着を買いに来た家族
[2002年11月 バグダット]
59
サダム・シティーのジュワードさん一家の貧しくとも仲のいい兄弟姉妹たち
[2002年5月 バグダット]
60
最近の取締りで街角から減ったとはいえ、靴磨きや買い物袋売りは子供たちの大切な仕事
[2002年11月 ナジャフ]
61
経済的に貧しい人々の集うサダム・シティー(現サドル・シティー)の子ども
[2002年11月 バグダット]
62
夏休み前の試験が終わって閑散とした村の学校の黒板には英語の試験問題が残されていた
[2002年5月 バスラ郊外]
63
白血病の影響で目にひどい症状が出て入院六ヶ月になる息子の唾液を吸いだしてやる父親
[2002年4月 バグダット]
64
止まらない息子の鼻血をどうすることできぬ母親と、血がついたままの哺乳ビン
[2002年4月 バグダット]
65
体調の悪さにからときどき、むずがる娘をあやすだけで、どうすることもできない母親
[2002年12月 バグダット]
66
仮埋葬の墓地は、湾岸戦争後に激増した子どもの死によって「子どもの墓地」と化した
[2002年12月 バスラ]
67
白血病を患う息子を抱えて、はるばるバグダットの病院までやってきたクルド人の父子
[2002年12月 バグダット]
68
「私たちは写真が欲しいのではない。薬が欲しいのです」と言った老婆のいた同じ病室で
[2002年12月 バスラ]
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