「イラク戦争の一年」(Cセット)パネル見本
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『イラク戦争の一年』Cセット・キャプション (白黒・カラー総計 44枚)
c-L1 (大写真=120㎝×180㎝)
フセイン政権下で禁じられていたシーア派の大祭「アシュラ」が深夜のイマーム・フセインモスクで最高潮に達する
(カルバラ 2004年3月2日)
c-L2 (大写真=120㎝×180㎝)
殺されたイマーム・フセインの苦しみを自分のものとするため、我が身に鎖を打つ祭り「アシュラ」に参加した少年
(バグダッド 2004年2月26日)
c-L3( 大写真=120㎝×180㎝)
深夜、イマーム・フセインモスクの回廊の屋上からライトアップされたモスクに向かってコラーンを読み続ける若者
(カルバラ 2004年3月2日)
c-01
近所の学校へ向かう朝の道を、眠たい目をこすりながらとぼと歩いていく
(バグダッド 2002年11月) k001
c-02
放射能汚染された非武装地帯でトマト栽培の農民は「ウランそんなに危ないのか」と聞いてきた
(クエート国境地帯 2002年12月)
c-03
3ヶ月前に赤ちゃんを産み、そして2ヶ月後に25歳の若さで亡くなってしまったナダーさん
(バスラ 2002年5月)
c-04
仮埋葬の墓地は、湾岸戦争後に激増した子どもたちの死によって「子どもの墓地」と呼ばれるようになった
(バスラ 2002年12月) k004
c-05
きのこ雲を立ち上らせる巨大な爆弾がバグダットの街に連日落とされた
(バグダッド 2003年3月28日) k005
c-06
空爆が開始されて10日たち、仕事を再開させたショアラ市場に落とされた爆弾で約55名の一般市民が殺された
(バグダッド 2003年3月31日) k006
c-07
アーザミーエ地区の電話局を襲った巨大な爆弾に,隣接する自宅を破壊されたアハマッドさんは天を仰いだ
(バグダッド 2003年3月30日)
c-08
クラスター爆弾で右手を失った少年は、痛みに耐えるためか「ブッシュのバカヤロウ」と叫び続けていた
(ヒッラ 2003年4月2日)
c-09
市場が空爆を受けて多くの犠牲者が出た数日後、その市場で怯えるように母親の背中に隠れる子どもに出会った
(バグダッド 2003年3月31日)
c-10
空爆の続く間も、石油精製工場に、戦争反対、空爆反対を訴える「人間の盾」として留まり続けたアメリカ人の女性
(バグダッド 2003年3月25日)
c-11
バグダッド郊外のパレスチナ人居住区にばら撒かれたクラスター爆弾を処理する消防のレスキュー隊を見守る
(バグダッド 2003年4月5日)
c-12
少年は「学校が休みだから」と毎日、イラク情報省の前で外国人ジャーナリストを相手に靴を磨いていた
(バグダッド 2003年3月22日)
c-13
一方的にやられっ放しだったバグダッドのイラク側が珍しくアメリカの戦車を破壊したと、民兵たちが集まっていた
(バグダッド 2003年4月6日)
c-14
パレスチナホテル前に入ってきたアメリカ軍の戦車の大群を、恐れと戸惑いの中で見つめる地元の男たち
(バグダッド 2003年4月9日)
c-15
「バグダット陥落」を「サダム・フセイン像の引き倒し」で演出しようとする米軍海兵隊の特殊な装甲車と海兵隊員
(バグダッド 2003年4月9日)
c-16
アメリカ軍の戦車の前で子どもを抱えた女性は、米軍の検問の荷物検査に手間取る夫を不安そうに見つめていた
(バグダッド 2003年4月12日)
c-17
事務所荒らしの略奪者たちを市民は「アリババ」と呼び恐れたが、アメリカ軍は略奪行為を放置していた
(バグダッド 2003年4月10日)
c-18
街中のパン屋の前に残されたイラク軍戦車からは米英軍が使った劣化ウラン弾の強烈な放射線が出ていた
(マハムディーヤ 2003年4月17日)
c-19
放射能汚染された地域で核燃料精製物質の入っていたドラム缶を回収する環境NGOの作業を見守る地元民
(トゥウェイサ 2003年6月)
c-20
首都の中心部のホテルの爆破で27名とも言われる市民が殺されたが、誰の犯行かも分からずじまいだった
(バグダッド 2004年3月17日)
c-21
シーア派のモスクにロケット砲が打ち込まれたのを名目に出動したアメリカ兵、しかし市内の安全は崩壊していた
(バグダッド 2004年2月26日)
c-22
イラクの「要人」を警備するアメリカ兵を狙った爆弾が住宅街で炸裂。周辺の市民も車も巻き添えを食った
(バグダッド 2004年3月18日)
c-23
米軍の「サダム像引き倒し」の演出から一年。舞台となったフィドルス広場で近所の子どもが花を摘んでくれた
(バグダッド 2004年3月25日)
c-24
米兵による拷問、虐待、暴行が行われていたアブグレイブ収容所の前で、家族の面会を求めたが断られた女性
(アブグレイブ 2004年3月21日)
c-25
収容所に捕らわれている肉親の安否を確かめに来ている人々が、照りつける日差しの中で長く待たされていた
(アブグレイブ 2004年3月21日)
c-26
「拘束者に人権を」と訴えてる人権団体と一緒に、息子の釈放を訴える女性たちが、CPA(占領当局)前に並んだ
(バグダッド 2004年3月18日)
c-27
裁判はおろか、理由も告げられずに米軍に連れ去られたイラク市民を守ろうと訴える人権団体、NGOのデモ
(バグダッド 2004年3月18日)
c-28
聖地に何百万人の信徒が集まり、「アシュラ」の祭りが最高潮に達したとき、爆弾が爆発し、砲弾が撃ち込まれた
(カルバラ 2004年3月2日)
c-29
隣国イランなどからも押し寄せた巡礼客と、それをもてなす地元民であふれる聖地は一瞬にして修羅場と化した
(カルバラ 2004年3月2日)
c-30
爆発で大火傷を負い、医師が包帯を取り替えるたびに激痛に悲鳴を上げる息子の手を握ることしかできない父
(カルバラ 2004年3月4日)
c-31
全身に大火傷を負って病院のベットに横たわる息子の看病に来ていた父は、息子の無残さにときどき涙を流した
(カルバラ 2004年3月4日)
c-32
聖地へのテロ攻撃で殺された人々の葬儀に集まった地元の人々は、戦争と占領に対する怒りをあらわにした
(カルバラ 2004年3月3日)
c-33
市内にまで劣化ウラン弾が使われたサマワの産科小児科病院には、突然にはしか等の感染症が大流行している
(サマワ 2004年3月14日)
c-34
破壊されたイラク軍軍用車両のスクラップ置き場が郊外に広がる。いくつもの戦車から強い放射線が検出された
(バグダッド 2004年2月22日)k034
c-35
戦車のスクラップを解体作業の仕事をしていた近所の男は、それらが放射能を発していることを知らなかった
(バグダッド 2004年2月22日)
c-36
バグダッドの南にあるスワイラ来て、マンスール病院の白血病センターに2日前から入院している6歳のハナン
(バグダッド 2004年3月24日)
c-37
明らかに自分たちを狙った爆弾が炸裂した直後、現場を封鎖した若いアメリカ兵は怯えていたように見えた
(バグダッド 2004年3月18日)
c-38
日本からムサンナ州産科小児科病院への医療機器の贈呈式が行われている間だけ周辺を警備していた自衛官
(サマワ 2004年3月14日)
c-39
子供たちは無邪気で屈託がないが、ここも自衛隊が派兵されて以降、毎日のように「戦闘」が繰り広げられている
(サマワ 2004年3月14日)
c-40
100名以上の犠牲者を出した爆弾事件のあった翌日の午後、路地裏を風のように駆け抜けていく少女を見た
(カルバラ 2004年3月3日)
c-41
イラクは首都の空までも占領され、米軍の戦闘ヘリが威圧するように昼夜を問わず超低空飛行を繰り返していた
(バグダッド 2004年2月22日)
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